平成19年12月29日  今年もお世話になりました

 今年もあとわずかになりました。今年の8月にホームページを開設してから、「ふくろうのつぶやき」のメッセージ発信回数も50回を超えることができました。
 本当にありがとうございました。
 来年は、今年にも増して多くのメッセージを「ふくつぶ」(「ふくろうのつぶやき」を略しただけです)から発信したいと思っております。これからも「ふくつぶ」との末長いお付き合いをよろしくお願いいたします。
 皆様、よい年をお迎えください。


平成19年12月28日  キリギリス?

 前回、イソップ童話について書きましたので、引き続きこの話題で書いてみたいと思います。
 「アリとキリギリス」という童話は、皆さんご存じのことと思います。ちゃんと働かないといけませんよ、怠けているとキリギリスのようなっちゃって冬に大変な目にあいますよ、という教訓を持った物語だと思います。勤勉なアテネ人が好みそうな内容の物語ですね。
 ところで、「キリギリス」って見たことありますか?私は、どこかで見ているのかも知れませんが、絵本に出てくる夏に楽器を持って遊んでいる絵しか思い出せません。なんで、よく分からない昆虫を物語に登場させるのか?よく考えると不思議です。
 実は、イソップ物語の原本は、「キリギリス」ではなく「セミ」だったのです。夏にミンミンと鳴いているあのセミです。さんざん鳴き続けて一週間たらずで死んでいくあのセミだったのです。
 なるほど、そういうことであれば、童話のストーリーとして納得できますね。
 しかし、何故「セミ」が「キリギリス」に代わってしまったのか?どうも、この童話がヨーロッパ全土に普及する際、北の国々には「セミ」がいなかったようなのです。そのため、そんな国にもいる昆虫として「キリギリス」が登場したとのことです。
 そういうことのようなのですが、「キリギリス」ってどんな虫だったっけ?という最初の疑問は解決してませんね。皆さん、各自インターネットで調べてください。


平成19年12月26日  コンプレックス

 先日引いた「おみくじ」についていた縁起物の「銭亀」は、しっかり財布に納まっています。良いことがあればいいですね。
 亀といえば、イソップ童話の「ウサギとカメ」を思い出します。有名な童話ですが、足の速いことを自慢したがり屋で自分より足の遅い者を馬鹿にする性格の悪いウサギと、負けん気が強く意地っ張りのカメの競争のお話です。
 子供の頃は何気なく読んでいましたが、大人になって改めて見てみると、本当に意味のない勝負をしたものだと思えてなりません。
 カメにとって足が遅いことが何でコンプレックスなのでしょうか?カメは水の中を早く泳ぐことができ、長生きのできる動物です。陸の上を速く走る必要など何もありません。もし、このカメが自分というものを理解していれば、「何とおっしゃるウサギさん」と言って「向こうの山のふもとまでどちらか先に駆け着くか」などと勝負するわけがありません。「余計なお世話だ、ほっといてくれ!」で物語は終わっていたでしょう。
 ところが、このカメ、未熟者でウサギの誘いにまんまと乗ってしまいます。ウサギはウサギで間抜けなので、寝ている間にカメに負けてしまいますが、本当に意味のない勝負ですね。
 この童話の教訓を考えると、一生懸命頑張れば勝てるとか、油断大敵というようなことではなく、自分というものをしっかり理解し自分に自信があれば、つまらない意味のない勝負などしないものだ、ということに尽きるように思えてなりません。


平成19年12月24日  銭亀

 クリスマスイブというのに、仕事に追われフウフウ言っている「ふくろう社労士」の關です。仕事も大事ですが、今年一年無病息災で過ごせたことのお礼に松戸神社に行かなければと、午後からお参りに行ってきました。
 お参りした後、おみくじを引いてみました。運勢は小吉でしたが、縁起物として「銭亀」一体が入っておりました。中々縁起が良さそうです。
 「亀」のように、ゆっくりでもいいからしっかりと自分の人生を、目的を持って前進して行きたいものです。


平成19年12月23日  年の瀬に

 社会保険労務士として独立開業して初めての年末を迎えています。会社勤めの時と違い、忘年会とも縁遠くなったかと思ったのですが、忘年会のお誘いが多いのに少しびっくりしています。前の会社の関係の方々との忘年会や特別研修をいっしょに受講した仲間の忘年会やら、うれしい限りです。
 昨日の12月22日は、お仕事でお付き合いさせていただいている工務店様の忘年会にお招きいただきました。本当にありがたいことです。休日なので、昼の1時から宴会が始まり、広間を替えてのカラオケやら宴は延々と続きました。大工の棟梁の方々のお話は興味深いものがありました。私は午後7時過ぎに失礼したのですが、宴はいつまで続いたのか?今度会ったら聞いてみようと思ったりしています。
 今日は今日はで、千葉県社会保険労務士会東葛支部の研修会があり、二日酔いの頭で参加しまして、電卓をたたき間違えたりしてさんざんでした。そして今日の夜は、近くの親戚とクリスマス会をしたのです。中々楽しく忙しい毎日です。
 明日は、22日の仕事を24日に回したのを頑張ってやっつけなければ!貧乏暇なしですね。


平成19年12月21日  鰆について

 岡山に住んでいた頃、「ふくろう美術館」に毎月のように通っていましたが、それ以外の楽しみとして、「サワラ」を食べることもありました。
 サワラは「鰆」と書きますが、冬から春先にかけて、本当にお刺身で食べると美味しい魚ですよ。食べたことのない方にはお勧めします。(鰆丼も美味しいです)
 この鰆、釣り上げた直後に、ほかの魚より早く死んでしまいます。また、身が柔らかく、取り扱いが難しいのも特徴です。特に輸送は身が割れないよう細心の注意を必要とします。多分、死んでからも、一匹一匹これほど大切に扱われる魚はほかには無いでしょう。
  「サワラぬ神にたたりなし」とシャレる程の魚なのです。
 そのせいか、この「鰆」の美味しさを知る人は、あまり多くいないようです。もっとも、皆が美味しさを知って買い争うと中々食べられなくなってしまいますから、有名になるのも善し悪しですが・・・・・・
 ちなみに、この鰆という魚、一夫多妻の大い魚類の中では、珍しく一夫一婦を守る律儀な魚でもあります。


平成19年12月20日  海のトリトン

 私が中学生になっていたかどうか?そんな時期でしたか、テレビアニメで「海のトリトン」というものが放映されておりました。原作は手塚治虫ですが、テレビの方は原作とは全く関係ない内容でした。このアニメ、結構根強いファンがいたことは有名です。
 何が魅力的だったのか、よく分からないままに再放送も何度か見たのですが、何回見ても、また見たくなる不思議な物語だったことを憶えています。
 10年ほど前でしたか、このアニメをテーマとした本を書店で見つけ、早速手に取って見たのですが、中を読んでみて、なるほどと思うところがありました。その本の作者は多分、私より一つか二つ年下だと思いますが、まず同世代と言っていいでしょう。彼女の説に従ってこのアニメを検証すると結構面白かったので、少し書いてみる気になりました。
 主人公は少年です。そして、その少年は「悪」と戦わなければならなかったのです。これは特に珍しいことではありません。それまでのアニメでは、主人公は何のためらいもなく悪と戦いました。しかしこの主人公は、闘ったり殺しあったりすることを嫌い、かたくなに戦うことを拒否します。当時のアニメの主人公としては本当に珍しかったのです。
 登場人物は、少年、少女、イルカ、怪物、海の魚などなのですが、少年と少女が物語の中心になります。ところが、このヒーローとヒロインが、本当に仲が悪い、よくここまでと思うくらいにケンカをします。これほど仲が悪くてよく物語が作れたと思うくらいです。これも面白い。
 物語が、ヒーローとヒロインの成長に合わせて、ストーリーを要求している。試練を与えているというか、試練を乗り越えさせようと、わざわざ難しい経路で旅をさせている点があります。例えば、何故マゼラン海峡を行くのか?何故スエズ運河の下を行くのか?物語を知っている方はピンとくると思います。
 そして最大のポイントは、全くと言っていいほど「夫婦」が登場しない物語だという点があげられます。
 なぜなら、この「海のトリトン」という物語が「トリトン」と「ピピ」という一対の夫婦が成長していくということが、大きなテーマになっていたからなのです。

 なるほどと思いながら、その本を読ませていただきました。このアニメが登場するまでは、「〜ファンクラブ」などというものはなかったのですが、このアニメ以降、そういうものが出てきたことも、納得できます。 まだまだ紹介したい内容はあるのですが、とりあえず、これくらいにしておきたいと思います。尻切れトンボみたいで恐縮です。

平成19年12月17日  塩

 岡山住んでいた頃、湯原温泉に家内と行ったことがあります。その時の夕飯に出た塩が美味しくて、ホテルの人にお願いして少し分けてもらい、今でも重宝に使っています。
 ところで、日本には、「塩」という字のつく地名が結構あります。岩塩のない我が国では、海水から塩を作っていたはずなのに、何故か内陸部に「塩」がつく地名が多いのに驚きます。
 実は、この地名、「塩の道」の名残りで、塩を運ぶ道、取引する市場のあるところに「塩」の地名がついたのです。
 内陸部では塩は本当に大事なものだったのでしょう。塩見峠(奥只見)、塩山(山梨県)、塩尻(長野県)、塩町(広島県)など、すべて山の中にあります。
 もっとも、今でも「塩」は命の粒であることに違いはありませんが。


平成19年12月15日  鉄人28号について

 私が3歳のときに、日本のテレビアニメーションはその幕を切って落とされました。「鉄腕アトム」「鉄人28号」「オオカミ少年ケン」、この3作品がテレビのブラウンカンに登場したのでした。
 その中でも一番記憶に残っているのが、鉄人28号です。第二次世界大戦時に軍の命令で作られた鋼鉄のロボットが、完成したときには大戦は終わっていた。なんせ27回失敗してやっと28体めで完成という恐ろしい代物だったのですから。
 作者の横山光輝は、空爆にきたB29の恐怖を元に、悪人に操られる怪ロボット、つまり、フランケンシュタインの恐怖を主題にしたストーリーを考えていたようです。
 ところが、連載がスタートすると人気が急上昇し、途中から正義の味方に転向してしまいます。金田少年とともに正義のコンビを組むという変わり身の早さ。しかし、一方ではリモコンを奪われると悪の手先となってしまう恐ろしさもありました。科学の発展は、無条件でバラ色の世界を生み出さないということでしょうか?
 ところで、このマンガ、当時は「SF大作」という分野がなく「長編探偵漫画」に分類されていたようです。こう見ていくと、マンガの歴史も結構面白いですね。


平成19年12月14日  JRの各線の呼び名

 遠出をするときは、どこに行くにも鉄道を使いますね。最寄駅が松戸駅なので、当たり前と言えば当たり前ですが。
 国鉄からJRになってずいぶん経ちます。JRの各線の呼び名も地域によって愛称をつけることがあります。JR東日本の宇都宮線、JR西日本の神戸線、嵯峨野線、きのくに線などですが、当然これらは法律で定められた正式な路線名ではありません。
 しかし、昔から使われていて正式名と思っている路線名も実は正式な名称でないことが結構あるのです。
 「京浜東北線」これ正式名ではありません。大宮から東京までは東北線、東京から横浜までは東海道本線なのです。東海道線の複々線化して電化してものが北へ伸びて、並行して走っていた汽車と区別するための呼び方が進化したものでする
 「埼京線」これ正式名ではありません。山手線と赤羽線と東北本線の別線がつながって、埼京線と呼ばれているだけです。
 もっとも、利用する方にしてみれば、どうでもいいことですけどね。


平成19年12月11日  アンコウ

 冬らしい寒い毎日が続いています。冬といえば鍋料理、鍋といえば「アンコウ鍋」ではないでしょうか。
 昨年、父母がめでたく金婚式を迎えたので、北茨城の旅館を一族で貸し切ってお祝いをしました。そのとき食べた「アンコウ鍋」が本当に美味しかったことを憶えています。お酒も美味しかった!
 アンコウは、「吊るし切り」といって縄を下アゴに通して吊るし、口から水を5升程注ぎ込んで吊るしながら切って料理します。これは、身の柔らかいアンコウをまな板の上で料理しようとすると、身と骨が切り離せなくなって困るので考案された料理法です。
 ところで、このアンコウですが、提灯のようなルアー(疑似餌)で巧みに小魚をおびき寄せて、あの大きな口でひとのみにしてしまうというユニークな狩(釣り?)をすることは有名です。
 そして、驚くべきことには、坊主の時(何の獲物も釣れないとき)は、海面まで上昇し、魚の代わりに海鳥を釣ることがあるそうです。
 本当にたくましく生きているのですね。


平成19年12月10日   ホームページリニューアル

 ホームページのトップページを少し変えてみました。法改正の情報も古くなってきましたのでリニューアルし、「ミニ知識集」を掲載して、皆様のお役に立つ情報をお届けしようと思っています。
 これからも、「ふくろう人事サポート」をよろしくお願いいたします。


平成19年12月7日   ふくろう美術館  

 3年程前に岡山県に住んでいた頃、吉備路にある「ふくろう美術館」によく寄らせていただきました。
 その「ふくろう美術館」からカレンダーをいただきました。ありがたいことです。
 「ふくろう美術館」の詳細については、下記からホームページをご覧ください。

http://www.2960museum.com/

 カレンダーを見て岡山時代を懐かしく思いました。月に一度は寄らせていただいておりましたが、「ふくろうおばば」をはじめ美術館の皆さん、親切な方ばかりです。楽しい時間を過ごすことができ、また可愛いふくろう達にも出会える美術館です。皆さんも機会があったら、一度行かれることをお勧めします。


平成19年12月3日   佐倉を散策

 昨日の日曜日、何年かぶりに佐倉を歩いてきました。千葉県社会保険労務士会のレクリェーションで、「ウォーキング佐倉で歴史散歩」という行事がありまして、それに参加したのです。佐倉は、家内と独身時代に初めてドライブした思い出の場所でしたので、懐かしく思い参加しましたが、歩いてみて改めていいところだと感じました。
 少し肌寒い中、国立歴史民俗博物館から佐倉城址公園、武家屋敷を経て旧堀田邸まで散策しました。

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佐倉城址公園の紅葉はきれいでした

 普段歩き慣れていないので足が棒になりましたが、ボランティアガイドさんの説明も分かりやすく親切で、有意義な一日を過ごすことができました。

平成19年12月1日

  世界最古の百科事典

 とうとう師走に入ってしまいました。地球温暖化の影響か、つい最近まで暑かったように思っていたのですが・・・・・・
 話変わって、昔は家には必ず百科事典というものがありました。今は時代の流れが速すぎて、高いお金を出して百科事典を買ってもすぐに古本となってしまうためか、あまりお目にかかれませんが・・・・・・
 ところで、世界最古の百科事典は何かご存知でしょうか?実は日本で編集された「節用集」(せつようしゅう)というものが、世界最古の百科事典なのです。今から600年程前に作られました。あの有名なイギリスの「エンサイクロペディア・ブリタニカ」よりも350年も前のことです。

 なお、面白いのは、この世界最古の百科事典を作ったのは、まんじゅう屋さんだったのです。そのまんじゅう屋は、有名な「塩瀬」です。
 今から650年ほど前に、中国から林淨因という人がやって来て、皮に甘酒を入れた常与まんじゅうというものを発明しました。そして大儲けをし、日本姓を塩瀬と改めたのです。この方が、まんじゅうの儲けで百科事典を作りました。
 大儲けしたお金を遊びではなく、百科事典づくりにつぎ込んだのですから、本当に感心させられます。


平成19年11月29日   寒い日

 寒い日が続きますが、風邪などひいてませんか?
 今日は、午前中は我孫子で打ち合わせ、昼は事務所に戻ってきて「ふくろうのつぶやき」を書いてますが、午後、今度は東京に出かけます。外は寒いですね。
 皆さんも健康には十分留意され、お体を大切になさってください。


平成19年11月27日   外来語いろいろ

 自分の周りを見渡すと、本当に多くの外来語があふれていると思います。日本語はどんな言葉でも吸収してしまうのか?日本語の危機を訴えている人も多いこの頃です。
 今日は、別に日本語の危機について書くのではありません。外来語が語源の地名を2つ程紹介しようと思います。
 京都に先斗町(ぼんとちょう)というところがあります。高瀬川と鴨川に挟まれた岬のような細長い形をした町です。夜になると細い路地を粋なお姉さんが行き交い、静かなたたずまいの中に艶っぽい雰囲気が漂う町です。
 この「先斗町」ですが、語源はポルトガル語です。ポルトガル語の岬という単語の「Pont」が当てられ、これが先斗町となりました。
 ポントが、カブというカルタのゲームで「先端」という意味もあったので、まず「先」の字をとり、続いてお金がたくさん入るようにと、量が多いという意味の「斗」を当てたのです。粋ではありますが、すごいこじつけですね。
 東京に八重洲という地名があります。私は、よくここのブツクセンターに行くことがありますが、この地名も外来語からきています。こちらはごく簡単です。
 徳川幕府に関係のあったオランダ人のヤン・ヨーステンの名にちなんで、ヤンエースからヤエスとなったそうです。


平成19年11月25日   彦にゃんに思う

 テレビを見ていたら、滋賀県の彦根で大事件が起きているという報道があった。なんでも彦根城の人気キャラクターの「彦にゃん」とかいうのが、著作権法の問題から使えなくなるとかならないとか?
 ところで、この「彦にゃん」は猫のようだが、よく見ると、赤い色の兜をかぶっている。赤い色を見て、なるほどと思った。
 井伊の赤備え(あかぞろえ)は有名であるが、「彦にゃん」がかぶっているのは、まさにそれである。
 赤い鎧兜を揃えるのは、戦国時代の武田信玄まで遡ることになる。戦国最強といわれた甲斐の武田信玄の騎馬軍団は、鎧兜を赤色に染めていた。江戸幕府を開いた徳川家康は、その武将人生の半分を武田の甲州勢との戦いに費やしている。尾張の織田信長と同盟した三河時代の家康は、武田の西進を必死の思いで食い止めていたのだ。三方が原で信玄にさんざんに打ちのめされた家康は、命からがら逃げ帰り、馬上で脱糞したことは有名である。
 このように、最強騎馬軍団を敵として戦い抜いた家康の武田に対する畏敬の念は相当深いものがあったのであろう。その証拠に、江戸時代、甲斐は天領となっていた。また、江戸に有事があった場合、将軍は甲府に逃れるようにするため、甲州街道だけは直線街道であった。
 このように武田家との戦いに耐え、家康は「東海一の弓取」といわれるようになった。
 武田家が滅びた後も、特別な思いのある武田家の赤備えを、家康は譜代筆頭の井伊直政に与え、戦の際には徳川軍の先陣となるよう申し伝えたのである。天下分け目の関ヶ原でも、徳川譜代で戦闘に参加したのは井伊直政だけであったことからも、井伊に「赤備え」を託した意味がわかる。
 その井伊直政の子孫が、安政の大獄で名高い井伊直弼である。

 長々と書いたが、その「井伊の赤備え」を「彦にゃん」はかぶっていた。「彦にゃん」の作者は結構粋なことを考えたものだ。
 著作権の問題は簡単には解決しそうにないが、「彦にゃん」にはもっと彦根を宣伝してほしいと思うしだいである。


平成19年11月24日   特定社会保険労務士試験終わりました・・・・

 今日、特定社会保険労務士の試験がありました。悲惨な結果だと思います。時間が足りないうえ、問題を読み違えて答案用紙は修正の二重線だらけ・・・・・
 来年再度頑張るかは、落ち着いてから考えます。
 今は眠たい・・・・・・


平成19年11月23日   治癒について

 「治癒」という言葉があります。治癒は一般的には、「症状が安定し、疾病が固定した状態にあることをいうのであって、治療の必要のなくなったものである」と言われています。では、この治癒は、だれが決めるのでしょうか?
 世間一般的には、医師が判定するものと考えて差し支えないと思います。
 しかし、労働関係の世界では、労働者を雇用している「会社」が決めるものなのです。
 当然、会社の人事担当者には、医学的知識がありませんから、医師の診断書が重要な意味を持っていることに変わりはありません。医学的に治癒しているかどうか、労務提供ができるかどうかという医学的な問題については、医師の判断が重要です。医師の診断なくして判断すると、裁判所からクレームがつく可能性があります。
 しかし、診断書に基づく判断は非常に難しいのが現状です。それは、診断書に「現場復帰可能」とか「出社可能」と書かれていても、それが通常の業務を行える健康状態まで回復した(治癒した)ということを意味していないことがあるからです。
 医師は、病気やケガの治療のプロであって、労務のプロではありませんから、労務に関する「治癒」を誤解していることもよくあります。また、医師と患者の信頼関係から考えると、頼まれたら「復職可能」と書かざるを得ないこともあると思います。
 つまり、診断書は治癒したかどうかを判断する絶対的な基準ではないということです。
 結局、最終的な判断は、使用者が下すしかありません。人事担当者の苦しいところです。
 したがって、診断書を提出してもらった上で、本人との面談が必要になる場合があります。業務遂行に支障があるかどうかを確認するのです。場合によっては、本人の同意を得て医師と面談する必要もあります。極端な話、会社が指定する医師に検診をさせることが必要になる場合もあります。
 会社は、労働者に対して安全配慮義務を負っていますから、休職している社員の復帰については、事故等につながらないよう、最善の注意を払うことが要求されます。


平成19年11月22日   酒は何故食らう?

 今はそんなに飲めませんが、若い頃お酒が大好きでした。特に地酒には本当に美味しいお酒があります。
 ところで、大酒のみのことを「大酒ぐらい」といいますが、酒は飲むものなのに、なぜ「食らう」のでしょうか?
 どうも、古代のお酒は、飲むものではなかったようなのです。醗酵してできた酒は、柔らかいどろどろのご飯のようなものだったので、昔の酒は、飲むものではなく食べるもので、その名残で「酒をくらう」と言っているようです。
 現在の日本酒が登場するのは、豊臣秀吉の時代ということですから、酒の歴史の中ではそう古いものではありません。
 ある醸造元の主人を恨む奉公人が、辞めるときに酒樽に灰を放り込んで逃げたのです。ところが、次の日の朝、職人がのぞいてみると、酒樽にはきれいに澄んだ酒ができていて、これがとてもうまかった。酒のにごりが灰のおかげで沈み、透明な上澄みができたというのです。
 これは、多分、作り話だと思います。
 しかし、こうして秀吉の時代に清酒が登場してからは、こちらが断然主流となっていくのです。美味しいお酒はたまりませんねえ!


平成19年11月21日   東京メトロに思う

 東京に行くと、かならず営団地下鉄のお世話になります。東京のありとあらゆる場所に地下鉄網は張り巡らされ、本当に重宝しています。
 確か、営団地下鉄で一番古い線は銀座線だと思いますが、この銀座線には、「上野広小路」(松坂屋前)や「三越前」などというデパート名の入った駅があります。すごい宣伝ですが、どうしてこんな駅名ができたのでしょうか?
 東京地下鉄道が、浅草−上野間に地下鉄を敷いた当時、「上野広小路」(松坂屋前)などという駅は予定に入っていませんでした。工事が始まってから、松坂屋の専務と東京地下鉄道のトップが同窓生だったことから、松坂屋側から松坂屋の地下に駅を作るよう働きかけたのです。
 松坂屋は、「地下鉄側は、ホームの骨組だけ作ってくれれば、床や天井などの仕上げは全部うちが負担する」という条件を出したのです。
 その条件を地下鉄側は悪くないと思ったようで、駅を増やすことに同意しました。このため、上野駅から500メートルたらずの所に駅ができたのです。
 このとき松坂屋は、駅名に、上野広小路(松坂屋前)とデパートの名を入れること、他のデパートの広告を入れないこと、将来急行を走らせるときには、急行停車駅とすることを条件にしました。
 このデパートとタイアップした駅の誕生が、その後の東京地下鉄網を広げる役割を果たすことになます。三越デパートの横に三越の負担で「三越前」というデパート名そのままの駅が作られました。
 このように、地下鉄はデパートとタイアップすることで、工事費用を浮かせながら路線を拡張していったわけです。


平成19年11月19日   パワハラについて

 今、「パワーハラスメント」が問題になっています。「セクシャルハラスメント」については、男女雇用機会均等法により法体系は確立し、後は社会的に十分な認識を皆が持てるようになるばかりですが、「パワハラ」については、依然として難しい問題があるようです。
 パワハラは、セクハラ以上に業務に直結しているため、善悪の判断がし難く、これが問題解決の大きな障害になっているようです。
 実際にパワハラが起こっているかどうかの判断さえ難しい場合が多いのが現状でしょうか。
 上司は、自分の言動が「部下への叱咤激励」と考えることが一般的だと思います。しかし、部下が「不当な行為を受けた」と感じた時点でパワハラが起こった可能性があります。
 つまり、最初から根本的な主張の食い違いがあるわけです。会社、上司、部下が、パワハラの概念について共通の認識を持つことが、まず重要となります。就業規則にパワハラについて明示する必要があると思います。
 実際に問題が起こった場合には、まず、上司に対して早急に問題行為を、とにかく停止するよう注意することが肝要です。
 次に、事実関係を確認する必要があります。客観的な認識の差を明確化して原因を探るのです。
 必ずしも上司に非があるばかりではありません。部下の職務遂行能力が欠如している場合も十分考えられますし、パワハラを行ったとされる上司の方が、深刻なストレスを抱えていたりします。単純に善悪を判断し難いことが多いのが、パワハラの特徴といえます。
 なお、事業所内での問題解決には、相談者に不利益が生じないよう配慮する必要もあります。
 各企業の人事担当の方にとっては、パワハラ問題は頭の痛い事項の一つだと思いますが、まず、研修等で問題を認識してもらい、起こった場合には、すぐに問題行為を停止させて解決に当たる、とにかく早い対応が肝要と思います。


平成19年11月18日   七五三

 松戸神社には毎月お参りに行っているのですが、今日お参りしましたら、「七五三」に来ている人達がいてずいぶんと賑やかでした。
 何となくいつもと違う雰囲気の中でのお参りです。
 着物を着た可愛い子供さん達の記念写真を撮るお父さんの姿を見ながら進み、神様の前へ。
 子供さん達の可愛い笑顔を見て、こちらもパワーをもらいました。いい子に育ってくださいね。


平成19年11月17日

 子供の頃は、本当にたくさんの生き物を飼ったと思います。普通の家で飼う動物は、たいていのものは飼いましたが、風変りな動物も飼いました。
 その中でも、特に可愛かったのは、アヒルでしょうか。この頃、生命保険会社のCMにアヒルが登場していますが、飼うと結構可愛いですよ。
 子供の頃、京都の北の方にある舞鶴市に3年程住んでいたことがあります。このときですが、弟が夜店でアヒルを買ってきました。妙なものを買ってきたものですが、このアヒルの雛が、すくすくと成長し、大きくなってしまったのです
 最初は、小鳥用の籠の中に、つつましやかに入っていました。エサは、よく分からなかったので、養鶏場に行って、鶏のエサを分けてもらい、与えたのです。
 アヒルの雛は、一日中暇なものですから、エサを食べては水を飲み、そしてエサを食べる。本当によく食べました。食事命の雛だったのです。
 鶏の雛は嘴も小さいのですが、雛とはいえこちらはアヒル、スコップのような嘴で、ザックリとエサを掘り起こすようにすくいあげ、ガブッと一飲み。あっぱれな食いっぷりでした。大きくなること、大きくなること。
 そんなわけで、一月もすると、小鳥用の籠では収容しきれなくなり、屋外の小屋に移動しました。そこでもエサを遠慮なく食べ続けておりました。
 運動のため外に出すと、ガアッガアッと鳴いて、人の後を付いて回ります。水かきの足でのよちよち歩き。可愛い目でこちらも見つめて、一生懸命に追っかけてきます。うちのアヒルは少し肥満気味でしたが、本当に愛らしいやつでした。
 庭の中心にひょうたん池があったので、泳がしてみたのですが、これは失敗でした。アヒルは、泳ぐときに油を出すようで、池の魚が大被害にあってしまいました。
 名古屋に引っ越しが決まり、新しい家ではアヒルが飼えないので、弟の友達に飼ってもらうことにして舞鶴に置いてきましたが、その時も首にリボンをつけ、少しオシャレをして新しい飼い主の元へ置いてきました。
 もうアヒルを飼う機会はないでしょうが、飼える環境にある方、アヒルはお勧めです。本当に可愛いですよ。


平成19年11月16日

 特定社会保険労務士受験のための「特別研修」が、今日から「ゼミナール」に突入しました。
 弁護士の先生が講師をされて、グループ研修で各班ごとにまとめた「あっせん申請書」と「答弁書」を中心に、議論を深めていきます。
 来週11/24の試験目指して、もうひと踏ん張りです。頑張ろう!


平成19年11月15日   コバンザメ

 医薬分業となって久しいですが、最初は気持の上で、しんどいものがありました。病気の時に医者の後に薬局に寄らなければいけない。しかし、慣れればそんなものだと思い納得しております。大きな病院や診療所の横には、必ず薬局がありますから。そんな薬局を「コバンザメ薬局」などと呼んだりします。
 大きな病院に小さな薬局がくっ付いて、「コバンザメ」のように見えるからでしょうか。
 コバンザメは、頭の上に小判型の大きな吸盤を付けており、「コバンイタダキ」と呼ばれることもありますが、サメの仲間ではなく、ハタやタイと同じ仲間です。世界じゅうに現在8種類いるとのことです。
 ところで、何故、コバンザメは大きな動物(宿主)にくっ付いているのでしょうか?一説によると、彼らは宿主の食いこぼしを食べて楽をしてエサをもらうためと言われています。つまり、楽してエサをもらう怠け者ということですが、実はこれ、誤りなのです。
 実は、コバンザメは、宿主の皮膚についている寄生虫をはぎ取って捕食しているのです。このおかげで、宿主は、病気にならずに済んでいるわけです。
 お互いに助け合って生活しているわけですね。共生というのでしょうか。
 その他にも、大きな動物に付着していれば危険から身を守ることができるということもあり、やはりチャッカリした、ただ乗りのヒッチハイカーではありますが。
 この無銭旅行も、産卵期を迎えるころには終わるようです。最後は静かなサンゴ礁の砂浜や海辺の浅いところへ雌雄で行き、雌の産卵を、雄がかたわらでじっと見守る風景が見られることがあります。


平成19年11月14日   外来生物の害

 外来生物による自然環境の破壊が叫ばれるようになりました。川にピラニアがいたり、カミツキガメが湖や大きな沼にいたり、大変な事態になっています。ペットとして持ち込まれた外来生物が日本の野生に生息し、環境破壊を始めています。
 人間が持ち込んだ外来生物による被害ですが、なんと19世紀には既に起こっていたのです。
 移住の国であるオーストラリアでは、1859年に、24頭のアナウサギを放ったために、大陸の環境が破壊されたことがありました。
 このアナウサギが爆発的に増殖して、木の皮をかじり、種子を食べ尽しサバンナを丸坊主にして雑草の原にしてしまったのです。
 最初に放した理由は、「イギリスで楽しまれているウサギ狩りを楽しみたい」という単純なものだったのですよ。開いた口がふさがりませんね。
 アナウサギ駆除のため、垣根を作ったり毒をまいたりしたのですが、オーストラリア在来の有袋類を殺しただけでした。罪深いことをしたものです。
 結局、アナウサギの病原ウイルスをまいて駆除したらしいのですが、細菌兵器ですよね!背筋がゾッとします。
 カリブ海のトリニダード島へ、1870年にマングースが放されたことがありました。
 理由は、サトウキビを食害するネズミ退治のためです。最初は、マングースはよく働いたようです。
 そして、ネズミはいなくなりました。しかし、マングースは生きていかなくてはなりません。当然のことながら、現地の哺乳類やヘビ、トカゲ、カエル、カメなどを猛然と食べ始めたのです。マングースを知らない在来の動物たちはやすやすと食べられてしまい、これまた凄まじい環境破壊が起こりました。
 外来の動物を入れるときには十分注意をしないと大変なことになるというのは、百数十年前に実証済のことですが、その教訓がずっと生かされなかったことが残念です。
 地球温暖化も大きな問題ですが、人間個々人の身勝手さが起こす環境破壊についても考える必要があると思います。


平成19年11月13日   ねじれ国会

 政治には大した興味はないのですが、今年の「ねじれ国会」は、いささか気になります。その理由は、雇用関係の法案が提出され、審議されているからです。
 11月7日の日本経済新聞によると、「労働契約法」と「最低賃金法改正案」は、7日に採決され、8日に衆議院を通過の見通しということで、両法案は今国会で成立するのは確実となったようです。
 労働法制の大改革にもかかわらず、あまり話題になっていないのはどういうことか?格差社会の問題は労働環境の問題でもあります。国民のためになる法律は、さっさと通してほしいと思っております。
 個人的には、「ふくろう人事サポート」のトップページの雇用法制の欄をいつの段階で更新しようかと悩んでおる次第です。


平成19年11月12日   太平洋?大西洋?

 父が海の仕事をしていたことから、子供の頃のわが家は、必ず海の近くにありました。海を見ながら子供時代を過ごしたこともあり、海は大好きです。大学時代の専門も海洋法でした。
 ところで、つまらないことですが、「太平洋」と「大西洋」、「太」と「大」の違いは何でしょうか?ご存じの方も多いと思いますが、太平洋は、「太平」+「洋」で、大西洋は、「大」+「西洋」と分解すれば一目瞭然です。
 太平洋は、ポルトガル人のマゼランが、荒れ狂う南米の先端を回って大海原に達したときに、静かな海に乗り入れたので、「平和な海」と命名したのが始まりです。つまり、「太平な洋」という意味です。
 大西洋は、ヨーロッパの西にある大きな海という意味で、「大きな西洋」のことです。
 ちなみに、訳したのは、福沢諭吉です。


平成19年11月11日  PC壊れました

 
今日は難儀な日であった。どら猫の壊したPC(「どら猫虹太郎日記」に詳しく書いてあります)を修理に行かなくては・・・。ノート型だが、旧式は結構重い。雨の中、新松戸まで修理に行った。一応修理できたが、一部部品が壊れていて、そこはセロテープ修正。なんともはや・・・。疲れました。

平成19年11月10日   女性専用列車

 朝の通勤時間帯に、女性専用列車ができました。確か今年の4月から松戸駅でもホームに女性専用の文字が見られるようになりました。
 ところで、この女性専用列車ですが、明治時代にはもうあったということはご存じでしょうか?
 当時、中央線の電車は朝の8時半前後と午後3時半前後には、学生で大変混雑していました。
 男女交際が厳しく制限されていた時代のことですから、男子学生にとっては同じ年頃の女性と接する数少ないチャンスだったのです。ましてや、当時の女子学生は、良家の令嬢が多く、通学電車のどさくさにでもまぎれなければ、近づくこともままならない高嶺の花だったのですよ。
 男子学生達は、女子学生の多い時間帯の電車を「花電車」と呼び、目の保養にしたり、混雑にまぎれてラブレターを渡したりしたのです。苦労したんですね。
 ところが、中には痴漢行為をやらかす者まで出てしまいまして、それには女子学生もたまらない。
 てなことで、多くの女子学生は、痴漢の出る電車を嫌い、人力車や徒歩で遠くの学校まで通うようになりました。
 この実態を知った鉄道当局は、何とかせねばということで、婦人専用の電車を走らせることにしたのです。そして、沿線の女学校に婦人専用車の利用を呼びかけました。
 戦後、婦人専用列車が、再度中央線に登場したことがあります。GHQの命令で走らせたようです。
 ところが、これが人気がなかった。女性が乗りたがらなかったというのです。理由は、化粧臭かったということですが、中には、女性ばかりだと異様な雰囲気になるとか、男性がいないと面白くないとかいう意見もあったそうです。結局廃止されました。
 ということは、現在の「女性専用」の列車は、三代目ということになりますね。時が移れば女性専用列車もそれぞれですが、結局、迷惑行為が原因ですから、明治時代と今は、あまり変わっていないということでしょうか。


平成19年11月8日   銀閣寺

 4年程前でしたが、滋賀県の草津市に住んでいたことがありました。その時は、京都と福井も担当していたので、移動が結構大変だったことを憶えています。
 京都には、本当に文化遺産といえるものが多くありますね。そんな中で、あまり知られていないことを一つ書いてみます。
 京都の慈照寺は、「銀閣寺」として有名ですが、建てられた当時、銀箔は使われていませんでした。これは、室町幕府八代将軍の足利義政が貧乏で銀箔を張れなかったと思っていた貴方、それは間違いです。当時は、「銀閣寺」と呼ばれることすらなかったのですから。
 では、何故「銀閣寺」と呼ばれるようになったのか?
 今から300年程前の江戸時代に慈照寺の大修理が行われたときのことです。庭に真っ白の砂が盛られ、そこに当たった月光を建物の2階に導き、天井に反射させて床に落ちるようにするために、天井に銀箔を施しました。この銀箔を義政時代の工夫と誤解した人々が、後になって銀閣寺と呼んだのです。それが現代まで続いているのが、「銀閣寺」と呼ばれるようになった理由です。
 たとえ「銀閣寺」と呼ばれるようになった理由が後世のことであったとしても、東山文化の代表的な遺産である慈照寺の価値が下がるわけではありません。


平成19年11月6日   弾丸列車構想

 日本という国は島国で、「島国根性」というあまり有り難くない言葉もありますが、そんな島国である日本にまつわる話です。
 笑い話を一つ書きます。
 日本に来た中国人Aさんが日本人Bさんに「日本には大きな川がない」と言いました。BさんはAさんに利根川を見せ、日本で一番大きい川だと説明しました。Aさんはがっかりして、「これは小川だ」と言ったそうです。
 その後数週間して、AさんからBさんに電話がありました。「日本にも中国に負けない大きな川があるじゃないか!すごい、大きな川だ!あの瀬戸大橋という大きな橋のかかっている川だよ!」Aさんはすごく興奮して電話口で叫んでいたそうです。
 皆さんは、もうお分かりですね。Aさんは瀬戸内海を川と勘違いしていたのです。多分、Aさんは海に橋がかかるとは思わなかったのでしょう。
 日本には、大きな川はありません。しかし、海に大きな橋をかける技術があったのです。海を川に間違えさせてしまうような優れた技術が。
 次はもう少し真面目な話です。
 日本には、世界に冠たる新幹線がありますが、戦前に、その前身となる「弾丸列車」構想があったことを知っている人は少ないと思います。
 この弾丸列車は、何と東京から大阪、下関を通り、釜山、瀋陽、天津から北京に到り、漢口、桂林、南寧からこともあろうかバンコクを経由してシンガポールまで繋ごうという大構想だったのです。
 対馬海峡については、最初は鉄橋を渡そうとしたのですが、流石にこれは無理ということで、海底トンネルのための調査を行ったようです。戦前の話ですよ!信じられません。
 当時の大東亜共栄圏構想がその下地にあったことは想像できますが、島国日本としては壮大な構想だったと思います。
 なお、誤解のないように付け加えますが、決して先の大戦の是非をここで議論しようというものではありません。
 変な例をあげて恐縮でしたが、少し歴史を見ても、日本人は、決して島国に閉じこもっているチマチマとした国民ではないと思い書いてみました。日本人は、その技術力と構想力において、世界に対して胸を張って良い国民だと思います。


平成19年11月1日   不思議な生き物 カイコ 

 小学生の低学年の頃、カイコを飼っていたことがあります。母が子供の教育のために、山梨の田舎から少し卵を分けてもらい、何年か自分の家でカイコを育てました。おかげで、幼虫が大きくなって糸をはいて繭を作り、成虫となって卵を産むまでの過程をつぶさに観察することができました。
 カイコは、生まれた時は茶色の小さな汚い虫ですが、一回脱皮すると白くなります。全部で4回の脱皮をして繭づくりを始めます。繭床も人間がこしらえてやらなければなりません。繭床も5センチではなく4センチ四方の方がカイコが繭を作りやすいことも、育てる過程で学びました。
 餌の桑は、近くの桑畑から失敬してましたが、特に咎め立てもされず、カイコを育てることができました。のんびりとした時代だったのかも知れません。当時は東京でも郊外に桑畑があったのです。
 そして、繭の中でサナギになったカイコは、成虫になると繭を破って出てきます。この成虫のことを「カイコガ」というのですが、かっこ悪くて頼りないガです。しわだらけの上、羽はあっても飛ぶこともできず、交尾して卵を産むだけのために成虫になったようです。その上、卵を産む所も人間が用意する必要があります。コピー用紙でいいのですが、敷いてやると、ここに卵を糊で貼りつけるように生みます。見ていると結構面白いですよ。
 そして、卵を産むと、カイコガはさっさと死んでいきます。人間は、卵のくっ付いた紙を来年の春まで冷蔵庫に保存しておきます。
 このように、カイコは手のかかる虫なのです。

 カイコは、生物学上、困った生き物であるということを知ったのは、大人になってからでした。何が困ったのかと言うと、「野生のカイコ」がこの世に存在しないため、そもそもの性質が分らないというのです。
 確かに、カイコは野生では生きていけないでしょう。それは育てたことのある人なら理解できます。まず、桑の木に登れない。桑の葉に置いてやっても風が吹いて落ちてしまえば、二度と桑の木に登れません。その上、色が白いので、鳥にすぐ見つかって食べられてしまうでしょう。繭床も作ってやらないと繭が作れない。奇跡が起こって成虫になったとしても、飛べない羽でどう異性と出会うのか?
 絶対に野生では生きていけませんね。納得。
 では、人間と出会うまでのカイコはどうやって生きていたのか?最初のカイコはどんな虫だったのか?さっぱり分らないというのです。桑子というカイコに似た虫もいるのですが、生物学者が言うには、カイコと桑子の違いは、人間と猿以上に違う生物とのことです。
 犬や猫がペットになったとしても、野生で生きている野良犬や野良猫はいます。しかし、「野良カイコ」は、この世に存在してません。つまり、ここまで完全に家畜化した生物は他に存在せず、「最初のカイコ」がどんな生体だったのか、皆目見当がつかない、というのが、学者先生を悩ませている原因のようです。

 カイコは、人間に多くの恵みをくれました。「シルクロード」という東西貿易を結ぶ道の名前にまでなっています。人間が養蚕業を止めてしまえば、確かにカイコは絶滅するでしょう。しかし、人間がカイコとの縁を切ることは、まずありません。人間は、この理解できない虫とずっといっしょに生きていくと思います。


平成19年10月30日   スーパージェッター

 先週、マンガについて書いたので、またマンガについて書きたくなりました。
 私が小学生だった昭和40年代の前半、「スーパージェッター」というテレビアニメがありました。後のSFマンガの先駆けとも言える作品で、当時小学生だった私も、テレビにかじりついて見たのを憶えています。
 マッハ15で空を飛ぶ車(流星号)や、時間を止める上に通信機能を持つ腕時計(タイムストッパー)、重力に逆らうことができるベルト(反重力ベルト)、どれをとっても、当時の男の子にはたまらない魅力的な道具でしたし、30世紀の人間が20世紀にきてしまうという設定もすごいものでした。
 あまりにも人気があったので、白黒放送54本の内、人気のあったもの26本を再度カラーで放送したという、今では考えられないアニメだったのです。
 もともと少年サンデーに連載していたもののアニメ化だったようですが、アニメ化するときに参加した人達がこれまたすごい。筒井康隆、平井和正、眉村卓、豊田有恒、辻真先、錚々たる顔ぶれです。
 まさにSFアニメの先駆をなした作品でした。


平成19年10月29日   喫茶の由来

 5年程前、四国の高知県に1年住んでしたことがありました。高知県は、あまり知られていませんが、「喫茶文化」が栄えている県です。町中いたる所に喫茶店があり、モーニングのメニューも結構充実しています。その点では名古屋と似ていますが・・・。
 ところで、「喫茶」という言葉の由来をご存知でしょうか?
 お茶は、唐招提寺を開いた中国の帰化僧の鑑真和尚が日本にもたらしたものです。その当時の中国のお茶は、葉を蒸してチョコレートのように圧し固めたものでした。これを「磚茶」(たんちゃ)といいましたが、磚とは「レンガ」という意味です。このレンガ状のお茶を削ったり、細かく粉に挽いて食べたのです。多分、日本にもそういう形で伝わってきたはずです。
 「喫茶」とは、お茶を飲むことを言いますが、「喫」は、本来「かじる」という意味の言葉です。レンガ状の磚茶をかじったことから、「喫茶」というようになったのだと思われます。

 話を戻しますが、高知では、何故喫茶店でのモーニングが流行ったのか?それは、高知が漁師の町であったことと深い関係があります。夫を漁に送り出した奥様方が、喫茶店でのモーニングを楽しんでいたとか?今でも、お盆など親戚の集まるときには、一家総出でモーニングを食べに出かけるのが珍しくないそうです。これは、高知時代に、現地の友人から聞いたので、きっと本当だと思います。

平成19年10月26日   サザエさん

 「サザエさん」という漫画を知らない人はいないでしょう。それくらい国民的マンガとなり有名になった「サザエさん」ですが、実は、私が物心つく頃には、もうベストセラーだったのです。
 それもそのはず、戦後まもない昭和24年から朝日新聞の夕刊に連載されていたのですから。多分、これ程の長きに渡って人気のある漫画は、これからも出てこないと思います。
 最初、サザエさんは独身でした。磯野家は、波平、フネ、カツオ、ワカメを入れて5人でした。
 その後、お見合いをしてマスオと結婚します。最初は別居していたのですが、サザエさんが、笠置シズコの「東京ブギウギ」をガナリ声をはりあげて歌ったのが原因で、家主から追い出されてしまいます。そして磯野家に転がり込みました。だから、マスオさんは婿養子ではありません。一応「フグタ家」の当主なのです。
 そんなことは置いておいて、このマンガ、設定が本当に視聴者の方を向いていると思います。昔、日本人のほとんどが中流意識を持っていたころは、「中流中の中流」のやや下に徹し、家族崩壊が叫ばれ始めると、古き良き昭和の時代の哀愁を感じさせるものがあります。
 日本人の「切なさ」を十分に感じさせるマンガだと思います。そこら辺が長寿番組の理由かもしれません。
 ちなみに、私の家内は「サザエさん」が大好きなようです。


平成19年10月23日   谷中めぐり

 秋になると研修会やら勉強会やらで、土曜日はほとんど埋まってしまいます。その上、今年は特定社労士受験のための特別研修を受けており、日曜日も休みがとれず少し疲労ぎみです。そこで、今日は夕方から仕事をサボッテ家内と外出することにしました。
 常磐線で松戸から日暮里に行き、すっかり有名になった警備のおじさんが作った日暮里駅の標識(案内板)をゆっくり眺めながら、改札を出ました。谷中に向かって少し歩くと「夕焼けだんだん」です。ちょうど夕日が見える時間だったので、夕日に向かって、座っていた人力車のお兄さんを横目にしながら、元気よく歩きました。夕焼けだんだんの階段には、いつものように数匹の猫がいます。皆丸々と太っています。そのメタボ猫達に話しかけながら階段を降りると、「谷中銀座」です。
 テレビで有名になった揚げ物屋の「谷中メンチ」は売り切れていたので、有名でない方の「メンチカツ」を食べることにしました。店の前で二人で並んで美味しそうに食べていると、いつしか買い物の列ができていました。
 メンチカツを食べると、コーヒーが飲みたくなります。谷中銀座から千駄木に抜ける道に「谷中珈琲店」がありますが、ここのコーヒーが美味しい。コーヒーを飲んでいると、いつしか暗くなってきたので、夕飯のおかずを買って帰ることにしました。
 今日は、天婦羅がラッキーメニューだったので、「谷中銀座」に戻り、買って帰ることにしました。まさしくメタボ街道一直線ですね。
 谷中銀座の中のお茶屋さんには、可愛いフクロウグッズが置いてあります。皆さんも行く機会があったら探してみてください。
 「谷根千」は、人の心を癒してくれる場所ですね。いつもはもっと早い時間に来て、千駄木から根津に抜け、根津神社にお参りするのですが、今日は時間がないので、Uターンして家路につきました。
 ちなみに「根津神社」は、家内と結婚式を挙げた神社です。


平成19年10月19日   地名のルーツ

 地名というのは面白いものです。その由来やルーツを探っていくと新しい発見があります。
 小さな村の名前が県の名前にまで出世した例を一つ紹介しましょう。
 福岡県は、昔の筑前、筑後、それに豊前の一部を占める地域からなりますが、その「福岡」という地名は、この三国から生まれた地名ではありません。関ヶ原の合戦の戦功で筑前52万国の領主となった黒田長政が、当時の福崎に築城し「福岡城」と命名したのが福岡という地名の発生です。
 では、なぜ福岡城と名付けたか?実は黒田長政の出身地が岡山県瀬戸内市(旧長船町)だったのですが、当時は福岡村と呼ばれていました。長政は故郷を懐かしみ、移封先に故郷の地名をつけたのです。
 何百人しか住んでいなかった小さな村の名が、やがて全国有数の県の名にまでなった例です。
 これほど極端に出世した名前は珍しいでしょうが、皆さんの周りにも、由来やルーツを探すと面白い地名がたくさんあると思います。調べてみるのも楽しいかもしれませんね。


平成19年10月15日   心中とは

 十数年前ですが、転勤で大阪府の吹田市に3年ほど住んでいたことがあります。その時の勤め先が淀屋橋でしたので、いつも梅田を経由して通勤しておりました。大阪の梅田には「曽根崎心中」で有名な「お初天神」があります。
 ところで、「
心中」というのはどういう意味なのでしょうか?子供のころ意味がさっぱりわからず、周りに聞いても納得する答えをもらわなかったことを憶えています。

 「心中」とは、近松門左衛門が作った言葉です。近松の「曽根崎心中」は、奥さんが遊女の見受け金を調達するために、自分の持っている着物を全部売って、夫のために身請けしてやり、それでは申し訳ないといって、男と遊女が死んで行く話です。
 はっきり言って現代人には理解しがたい物語です。
 しかし、江戸時代の大阪を理解できれば、この話が見えてきます。商人の町大阪では、番頭を養子にすることが多かったため、家の中心は妻であることが多かったのです。つまり財産は妻が握っていたわけです。夫に惚れた女ができても家の財産は夫の自由にならない。かといって妻が財産を動かしたら夫の対面にかかわる。妻は夫の不自由を知って、愛する夫なればこそ、好きな女を囲うくらいのことはさせてやりたいとの思いから、自分の着物を売って身請けするのです。
 ところが、夫にしてみれば、妻は自分が「忠」を尽くすべき家の中心です。その妻の行動を通して自分の「忠」を尽くしていない行動が分かった。それでは妻にすまないというので、相対死(あいたいじに)して詫びるわけです。
 忠を尽くせなかったが、忠を捨てない気持ちが相対死という、やむにやまれぬ行為となったわけです。
 だから近松は、「
」という字を引っくり返して「心中」という表現をとったのです。

 現代とは全く違う環境の中から生まれた言葉ですが、何故か人間臭さを感じてしまいます。近松は、結構現代人的な目で、当時を皮肉ったのかも知れません。


平成19年10月14日   特定研修その三

 特別研修がやっと「グループ研修」に移った。与えられた課題に対して少人数(私の班は講師含め8名)でのグループ討議が中心になる。今日は第一回目だったが、この研修はためになる。宿題もいっぱい出たが、これが血となり肉となると思うと、やる気も出てくる。
 さあ、頑張ろう!


平成19年10月10日   九州観光の夕べ

 「社会保険労務士たるもの、読む新聞は日経新聞である」と、昔受講した講演会で講師の先生が言っていたのを覚えています。だからというわけではありませんが、私は日経新聞を購読しています。別に新聞の宣伝ではありません。
 昨日の夜、日経新聞主催の「九州観光の夕べ」という催し物に家内と行ってきました。久しぶりに二人して大手町に行って都会の空気を吸いました。
 この催しものでは、まず俳優の村野武範氏の講演があり、その後で、有識者数人によるパネルディスカッションがありました。村野氏は、オヤジギャグとダジャレの連発でしたが、司会者をされていた「花丸」で有名な堤信子氏の進行が上手く、九州の隠れスポットをいくつか教えていただきました。特にハウステンボスの名誉総料理長の上柿元勝氏のトークは面白く拝見しました。
 最後の抽選会では、残念なことに何ももらえませんでしたが、来年も行きたいものだと思います。来年こそお土産をゲットするぞ!

平成19年10月8日   特定研修その二

 今日でやっと「特別研修」の内の中央発信講義が終わった。来週からやっとグループ研修に入る。
 しかし、この中央発信講義のビデオ研修は大変だった。大学の教室の堅い木の椅子に何時間も座り続け、腰を完全にやられてしまったようだ。途中から座布団持参で臨んだが腰が痛くてかなわない。おまけにエコノミー症候群なのか非常に体調が悪くなってしまった。私より年配の方が多いが、体は大丈夫だったのだろうか?
 とにかく、来週からのグループ研修を頑張ろう。


平成19年10月5日   松戸神社

 今年もあと3カ月を切りました。1年は早いものです。ところで、10月は神無月と呼ばれています。これは、神様がこの月に出雲に集まり、会議をするため、出雲以外の国は神様がいなくなるからです。では、何で神様が出雲に集まるのか?それは来年の相談をしているとのことですが・・・・・・・。てことは、神様にはその前にお願いしておかないと、会議に間に合わないじゃないか!もうダメだ!
 心配はいりません。この場合の暦は旧暦の10月です。
 旧暦10月に出雲は神在月を迎えます。大国主大神の御許に神々が集うのです。出雲大社のホームページによると、今年は11月19日に神様方をお迎えし、20日から会議をされて、26日にお送りするとのことです。
 ということは、その前に地元の神社にお参りして、来年のことをしっかり神様にお願いする必要があるわけです。さあ、今度の三連休のうちに神社にお参りし、来年のお願いをされてはいかがですか?

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千葉県松戸市の松戸神社

 松戸神社は、日本武尊を祭っています。私も松戸市の住人なので、月に1回はお参りしています。

平成19年10月3日   知り合いがテレビ出演?

 一昨日の10月1日、TBSだと思いましたが、夜の番組で年金関係の特集を組んでいました。年金に関し、あまり一般には知られていないことについて解説していたので、少し見てみることにしましたが、見ていてビックリ!知り合いが出ているでありませんか!
 番組に社会保険労務士が二人出ていたのですが、その内の一人は、私と同じ平成17年合格で、ある開業塾で一緒だった人なのです。確か、彼はつい最近結婚したはず・・・・・などと思っていると、しっかり「私は新婚です」と堂々と発言しているのです。中々度胸がありますね。結局、彼はタレント達にさんざんいじくられていましたが、本人は満更でもない様子。ムム、しかし、テレビに出るとは出世したものだ。社会保険労務士の知名度アップにつながってほしいものだと思いました

平成19年9月30日   特定研修その一

 昨日今日と特定社会保険労務士受験のための「特別研修」に行ってきました。千葉県会場は千葉商科大学でしたが、本当に疲れました。
 この中央発信講義を今度の三連休も受け、その後、グループ研修、ゼミナールと続き、11月下旬に試験を受けるハードスケジュールです。休日はほとんど潰れてしまいますね。
 ところで、中央発信講義はビデオ研修です。3時間休みなしのものを2本、とにかく内容の濃いことたるや、すごいですよ。トイレに行っている間もビデオは流れ続けていますから。
 憲法は大学で1年かけて講義するような内容を3時間に、民法は大学で2年間かけるものを6時間でこなしています。その上、椅子は大学ですから木の狭い椅子に座りっぱなし。2日間でエコノミー症候群なのか、腰にきてしまいました。今も腰が痛い。
 講義の内容を見て何故ビデオなのか、よくわかりました。多分、これだけの内容を時間内にまとめて話せる先生が限られていたからなのでしょう。これだけできる講師はそうはいません。それほど内容は濃いものでした。
 さあ、弱音を吐いている時間はありません。特定社会保険労務士を目指して2か月間は、勉強です。

平成19年9月28日

  新たなる決意

明日から「特別研修」が始まります。明日から約2ヶ月の休みの日は、この研修に費やされます。研修後、「特定社会保険労務士」になるための試験があり、これに合格するのが、今の目標です。
 若い頃と違い、ハードなスケジュールに耐えられるか心配ですが、労働問題の「あっせん代理」を業務の一つに加えるため、前進していこうと思います。

平成19年9月26日   国技に思う

 ある相撲部屋で若手力士が亡くなった。原因は先輩力士によるリンチのようである。朝青龍の事件に次ぐ角界の大事件である。
 角界について思うのだが、理事長以下、角界の人達の感覚は、一般人の感覚とは異なっているのだろうか?朝青龍の事件についても、もっと素早く動いていればこんな国際問題にまで発展しなかっただろう。また、今回のリンチ事件にしても、親方自ら関与していた疑いさえ感じられる。一般の常識から相当ズレテいると思うのは私だけだろうか?
 今こそ、角界の大改革が必要だと思えてならない。頭の固い今の幹部連中ではなく、貴乃花のような、度量のある角界を背負うことができる親方の奮闘に期待したい。

平成19年9月24日   勉強しています

 一昨日の9月22日(土)は研修会に参加しました。お茶の水に事務所を構える社会保険労務士の大先輩が主催されたもので、「相談いろいろ」と題する研修会でした。先生が今までクライアントから受けた相談の数々を紹介し、その対処方法、相談する側の気持ち、それらを踏まえたうえでの受注へのアプローチという内容でした。実践を課題にした役に立つ研修会です。3時間にわたる勉強を終えた後、参加者で懇親会を行い、意見交換をすることができました。
 この研修会は、この先生が昨年から主催された「IDE開業実践塾」のOG・OB会(一期・二期)で、先生の御好意により、年に数回開催されています。
 実は、私はこの開業塾の第一期生で修了証書番号1番でした。ただ、課題を提出するときにボリュームがありすぎたため、第二期からボリューム制限がついてしまいました。そして第二期も勉強のため受講したので私は第二期生でもあるのですが、今度はさぼって不肖にも課題を提出しませんでした。すると、第三期は課題提出が必須になるようです。後輩の皆さん、課題が厳しくなっても私を怨まないでください。

平成19年9月20日   囲碁

 「囲碁」というゲームがあります。私が子供の頃は、「オジンクサイ遊び」と言われていましたが、この頃は若い囲碁ファンも多く、「神様が気まぐれにつくったゲーム」の面目躍如といったところでしょうか。
 この歴史上最古のゲームと言われる囲碁の魅力はどこにあるのでしょうか?
①平等の世界であること
 囲碁の一番の魅力はこれだと言ってよいでしょう。階級制度の全くない世界です。組織というものは上下があって成り立つのですが、囲碁は他のゲーム、トランプ、将棋、チェスと違い、階級を持たずにゲームが成立します。このため囲碁の変化の多さは他のゲームの比ではありません。ワクワクするほどの変化を起こします。
②作っていくゲームであること
 何もないところから、何かを作っていくゲームとしての魅力です。最初に陣形があるのではなく、自分で手作りしていきます。壊すのではなく、作っていく楽しみです。
③教育がスタート
 囲碁にギャンブル性はほとんどありません。賭けには不向きなゲームです。元々、古代中国の王が王子の教育のために天空を盤にして考えたといわれるゲームです。囲碁の原点は教育にあったのですから賭けに適さないわけです。格調の高いゲームと言えます。
 この頃、少し囲碁を打つ楽しみから遠ざかっていました。これからは時間を作って、この「神様が気まぐれにつくったゲーム」を楽しみたいと思います。

平成19年9月17日  キャリア

 「キャリア」という言葉がよく使われるようになりました。「キャリアアップ」とか「キャリアプラン」とか日本語にどう訳していいか迷ってしまう場合も結構あります。「キャリア」ってどんなものだと思えばいいのでしょうか?
 「キャリア」の元々の意味は「轍(わだち)」です。馬が荷車を曳いて進むことによって作られる車の跡、轍(わだち)のことをキャリアと言いました。つまり、軌跡ですね。そして、運んだ荷物のことを「ジョブ」と言ったのです。「キャリア」とは、その人が生きてきた道筋、人生の軌跡のことと考えていいと思います。
 ところが、我が国では、「キャリア」と「エリート」という言葉が混同されて使われてきたという事情がありました。公務員の第一種合格者のことを「キャリア組」と言うように、キャリアはエリートという意味でも使われていたのです。これが「キャリア」とは、何か特別な立派なこと、人よりも優れたことをしないといけない、という考え方を産んでいたようです。元々のキャリアは、誰にでもあるものなのです。
 このキャリアをデザインすることを「キャリア・デザイン」と言います。これは、自分の進むべき方向性、つまり自分がどんな風に生きていきたいのか、についてイメージを描くことです。
 自分のキャリアをデザインしてみてはいかがですか。いつも生真面目に考える必要はありません。普段はドリフト(漂流)していて結構です。人生の転機転機で考えていく、要所要所の節目で自分の方向性がイメージできれば十分だと思います。
 では、明日から自分の人生をデザインしてみましょう。

平成19年9月9日  下水道の日

 明日の9月10日は「下水道の日」です。我々の出している生活排水をきれいにしてくれる下水道に感謝しましょう。
 さて、では9月10日がなぜ「下水道の日」になったのでしょう。それは「二百二十日」が起源と言われています。「二百二十日」?それって台風がよく来る日じゃないですか?なんで下水道と関係あるの?それが大有りなのです。
 下水は、そもそも「汚水」と「雨水」の二つに分かれます。都市生活では、生活排水としての汚水の他に、都市に降る雨水の排水が大きな課題だったのです。今でも大都市では、台風による雨水対策が重要課題であることはご存じのことと思いますが、下水道は、雨水対策として治水の役割も担っているのです。むしろ、昔はこちらの方がメインだったと思います。だから、台風がやってくる「二百二十日」は、下水道の日に相応しかったのでしょう。
 目に見えないところで活躍している下水道。仕事でもそうですが、大事なことは目に見えない努力によって支えられています。我々「サムライ」業の仕事も下水道の役割に通じるものがあるかもしれません。開業してまだ半年にもならない私ですが、目に見えないところで会社を支える「サムライ」になりたいと思っております。

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